2012年2月10日金曜日

《連載》喫茶偏愛記♯01 神保町ラドリオ

『偽りの街、物思いに耽りて』

 本当に、君との生活の全てが、まるで夢のように鮮やかに思い出され、僕は時々、これからの日々をどのように過ごしていくべきか、皆目検討がつかなくなるのです。
 日付けが分からない。やるべきことが分からない。くだらない考えしか浮かばない。何も手につかない――生きる意味を見いだせない。
 今現在の僕の暮らしは、ひどく痛みを伴うものです。こうなるともう、手に負えないのです。空想世界の長旅は、時に人生を棒に振ってしまうのです。これまでの君との日々は、言わばひとつの夢物語であり、現実では起こりえない情景を楽しむあまり、戻って来てからの生活がひどく窮屈で困難となります。いち早く元通りの自分の生活をかき集め、僕を現在に再構築せねばなりません。

 ――空想と現実を同じモノサシで考えてはいけない。
 理想を掲げることは誰だって出来るし、夢の中では素敵なことが沢山浮かぶ。思い出はいつだって取り出し可能で、当時の僕にすがることだって出来るのです。そこにあるのは淡い希望と、甘美な記憶。もう二度と手に入らぬ幸福と、今現在の現実を、違うものだと区別しなくてはならないのです。失ったものは二度と戻らない、当時の記憶や感情は、忘却せねばならないのです。
 でも、どうしてでしょう。僕は今でも永遠を求めてしまう。空想ではうまくいく。何処までも自由に生きていける。満たされた世界を描くことが出来る。僕はまだ、夢の中に居たいのでしょうか?
君と共に……。
 しかし、君との生活は何処までも現実味がなく、君が去り、現実に残された僕は、この日常を選択せねばならないのです。そう、そう思うことに決めたのです。


 今、ラドリオでコーヒーを頂きながらこの文章を書いています。
 そう、君がいつも座っていた、奥の左手にある一人席です。どうして君は、こんな壁を向いた席を好んだのでしょう。僕にはそれは分かりません。殆ど口つけないウインナーコーヒーと、溢れんばかりの煙草の吸殻。僕の視界の先にはこれらしか目に入りません。咥え煙草で散文を書き散らす恥ずかしさがとても似合う歴史あるシャンソン喫茶。ちょうど良い具合の位置に灯りもあって、誰からも干渉されず、独りになれる席。君はこの席を愛していましたね。僕にとってこの席は、時が止まったように静かで、悲しみに触れられているような心地がします。
 
 シャンソン喫茶ラドリオ。今ではもう、この店をそう呼ぶ人はいないのだと、若い女性の店員さんが言います。
 昭和24年創業のこの店は、神保町という、とりわけ歴史深い喫茶の多い街の中、もっとも老舗のひとつだそうです。スペイン語で「レンガ」を意味する店名の通り、重厚さを伴ったレンガ造り、厳かな外観のドアを開けて目に入る、赤いビニール地の椅子の張り、カウンターの止まり木、そして日本で初めて提供された、フレッシュな味わいのウインナーコーヒー。君が気に入るに値する、とても素敵な喫茶なのです。

「昔は表通り側にもお店があって、T字型になって奥で繋がっていたそうよ。今、私達が居るこの店にもドアの痕跡があるのよ。確か名前はネオラド。いつのまにか閉店してしまったそうだけれど」
 君はこの界隈のことを話す時、とても興奮していましたね。綺麗な鉤鼻をさすり、いささか大きな鼻孔を隠すように右手で覆う仕草が、今でも鮮明に思い出されます。
 ねえ、君は知っていましたか? 実はこのラドリオと、共にタンゴを味わったミロンガのオーナーが同一人物であったことを。自分の好きな音楽をふたつの店で別々に楽しもうと店を作ったそうですよ。彼はとりわけエディット・ピアフが大好きで、だから僕らがいつも座ると『愛の賛歌』や『バラ色の人生』なんかが掛かっていたのですね。僕も最近になって知ったのです。

「この街では誰だって順応しなくてはならないの。変化し続けなければならないの。複雑な社会環境に生きる私達は、万華鏡のように変わっていけなければ生き残れないのよ」
 いつか君は僕にそう言いましたね。僕はすぐにその訳を訊ねました。いつだって質問するのは僕の役目で、君はいつも難問の出題者でした。
「あなたにだって分かるでしょう? 東京は発信の街なの。私のような懐古主義なお人好しが住める街じゃないのよ」
 分からないな、と言った具合で僕は首をすくめました。
「分からなくて当然よ。あなたは私と同じタイプの人間なんですもの。だからこのお店に居るのでしょう?」
 君はそう言って、まるでこのお話はお終いよといった風にホットチョコレートを口に運びます。

 あなたにだって分かるでしょう? 
 分からなくて当然よ。――相反するふたつの言葉。
 でもね、僕には全部分かっていたのです。僕は偽りの人間だから。仮面を被り、嘘を塗りたくし、心を閉ざした人間だから。一方では君を理解し、肯定し、もう一方では全く違う見解で物事を考える人間だったのです。最後まで君にそのことを打ち明けれなかったことが、僕は本当に残念でならない。

 君が好きな作家の本の一節にこのような言葉があります。
『失ってしまったもの、消えてしまったもの、変わってしまったもの、そういった類いのものは全て、かつての輝きをもって無理に保存しても無駄である』
 その本は僕にこう教えてくれます。不自然な延命処置を施すことなく心に留めることが由一の救いである、と。
 そう――、君と僕との暮らしの日々を、僕はこうして文章にして留めているのです。
 

 新しいものが次々と生まれる東京で、君はひたすらに変わらないものを探していましたね。
 僕らが生まれるずっと以前から存在する純喫茶、亡くなってから50年の月日が経った作家の本、マグネチックスピーカーで再生させるSPレコード。君はそういったものを愛していましたね。君は僕のことも懐古主義者だと言って笑ってくれたけど、本当は全然そうじゃないことを、結局僕は君に告げることが出来ませんでした。東京人の面をしていたけれど、本当は山梨の田舎者だってこと。クラシックとロカビリーが好きだと言ったけれど、本当は陳腐な流行歌を聞いていること、僕は何も言えませんでした。
 だって君はあまりにまっすぐ僕を見つめ、「私と一緒だね」なんて囁くんだもの。
 君が僕のことを自分と良く似ているだなんて言わなければ、或いはもっと素直になることが出来たのかも知れない。それに、君の語った言葉の意味を、もっと真摯に受け止めることが出来たかも知れない。

「私はね、もう恋なんてしないことに決めているの」
 ある日、君はこの店でそんなことを言いました。
「どうして?」
「生きている心地がしないもの」
「普通は逆のような気もするけれど」
「生きている人間は、何をするか分からないでしょう? 例えばあなたが私のことを好きだと言う」
「好きだよ」
「茶化さないでよく聞いて」
 僕は彼女の、その真剣な眼差しに黙って肯きました。
「私はね、あなたにこう言うの。私が死んでしまっても、ずっと私だけのことを想い続けていてね。一瞬でも私のことを忘れないでって。あなたはきっと肯くでしょう?」
「もちろん、決まってるさ」
「でもね、駄目なの。私が求めているのはそんな出鱈目な口約束なんかじゃないのよ。もっと絶対的なものを求めているの。いくらあなたが好きだと言っても、生きている人間は変わるわ。変化することが、生きるってことだから」
「確かに人は変わるかも知れないね。だから約束は、もしかしたら守られないこともあるかも知れない。本当に残念だけれど」
 僕がそう言うと、君はにっこりと微笑みました。あくまで仮定の話でしょう、と。けれど、僕はあの時、本気で君に恋をしていたのです。永遠を求める君に、僕は何と言えば良かったのでしょう? 変化することを拒むなら、この瞬間――共に死を選択しましょうとでも言えば良かったのでしょうか? 
 いや――、やめましょう。終わったしまったことを口にするのはフェアじゃないですね。

 偽りの街東京――。
 この街に君が居なくなってしまってから、僕は随分と臆病な人間になってしまった。理由も告げず、この世から去った君が残したものがこの街にはあまりに多い。変化し続ける街であっても、僕らの日常の断片は頑なにその形状を維持し、留まっているからです。並んで歩いた古く、大きな公園の並木道。聞き飽きたジャズを淡々と流す喫茶店、二人で通った名画座。君が愛した幾つかの景色達は、どこまでも純粋にその場所に留まっています。時の停止したような、時代の潮流に抗う如き場所達。僕はそういった一切合切全てのものに圧迫を感じ、心を閉ざしてしまったのです。
 しかし、この店のある小路を歩くと、歴史と共に洗練された文化が、僕に深い癒やしを与えてくれるのも確かなのです。そしてこの小路を歩く度、君の横顔が浮かんでは消えてゆくのです。

 じき一年になるでしょうか? 君が亡くなったあの日から。
 それは、僕のこの、ひとりよがりの随筆の、宛先のない手紙を綴る日々の始まりでもあります。
 君は驚くでしょうか? 君が消えてからというもの、こうして毎日問いかけるように散文を書き続ける僕の姿に。もしかしたら君は笑ってしまうかもしれませんね。
 でもね、こうして何か、君に文章を書いていないとどうにも落ち着かないのです。君が死んでしまったという事実は、僕の体内を静かに蝕むかのような痛みを与えたのですから。
 君が好きだった幾つかの古い映画と恐ろしく長い古典文学――、僕はもう、君から教わった様々な種類の読み物を読み終えてしまったのです。そして又、自分なりの趣味嗜好を持って読み進めています。
 可笑しいですね。君がこの街に居たあの頃、僕は嘘を重ねることに精一杯で、少しも君の話を理解しようとしていなかったのですから。もしかしたら君は、随分前からその事に勘づいていたのかもしれませんね。
 でもね、あれから随分勉強しました。本も読みました。古い音楽も聴きました。少しでも君の瞳に映る、君が思い込んだ通りの僕になれるように努力したのです。
 今更、なんて笑わないで下さいね。自分でも気づきながら抑えることが出来なかったのです。だって万が一、君が再び現れた時、君の瞳に映るのは、かつて映った理想の僕でありたいのですから。
 
 君は変わってしまうことをひどく恐れていました。そして少々そのことに敏感になりすぎていたのです。喫茶店で出されるコーヒーの味の変化、例年より早めの満開の桜、移りゆく街の店先――。誰もが気にも留めないような些細な変化に、君はいささか敏感過ぎたのです。
 僕は、君にこう伝えるべきだったのでしょうね。客の心が遠ざかってしまったような辺鄙な純喫茶は君の本当の居場所なんかじゃない、と。自分の身の置き処を見い出せなかった君は、僕という人間を通して自分の居場所を指し示したかったのでしょう。変化を拒む君と、そう装う僕が並んで居れば、いつでも世界は同じである、君はそう言いたかったのでしょうか? 今となっては、その答えを探る術を僕は持ちません。僕もまた流行と共にカタチを変える模倣者のひとりなのですから。

 最近よく思うのです。今の僕がかつての君と話すことが出来たなら、色んな感情を共有出来るに違いないのにと。君が愛した多くの本と素敵なメロディー。僕の世界はかつての君で溢れているのですからね。
 ねぇ、今の僕ならどんなに古い映画の話も、どんなに長い古典文学も、再生機を持たぬひび割れたSPレコードの音色の良さも理解することが出来ます。好きだと自信を持って言えます。何の策略も、偽りも、偏見もなく君と話が出来ます。あの頃理解出来なかった、変化を拒む君の生き方を理解してあげることが出来るはずなのです。その時僕は、君の言葉の裏側に隠された真実の言葉を探り当て、一緒に新たな心地良い心の置き処を探しましょう。そして僕はこう告げましょう。
「変化は、誰にでも平等に訪れる。その度に君は、ハラハラドキドキすることになるかも知れない。けれど、それが生きているってことであり、楽しいってことじゃないかな? 確かに生きてる作家や、映画監督、それに僕と君――、時には想像もつかない程に心変わりし、変わってしまうかも知れない。あの時君を好きだと言った僕も、いつか変わってしまうかも知れない。けれどね、またそこからやり直せば良い。何か、君にとって大切なものが喪失してしまったとしても、もう一度構築していけば良い。僕らは何度でもやり直すことが出来るし、その度に生まれ変わっていくことが出来る。僕の君に対する気持ちは、確かに変化するのかも知れない。でも、さらにもっと君のことを想うことだって出来るはずなんだ。変化のない、完結された世界――、確かにその世界では、君はハラハラドキドキしないだろう。真っ直ぐ、純粋な気持ちでその世界を愛することが出来るかも知れない。死んだ作家はメディアで暴言を吐くこともせず、客足の遠のいた純喫茶は、いつだってそこに存在し続ける、心の中に留めることで――。でも、それだけだ。一方的な愛情は、そこまでなんだよ。僕らは変化を繰り返し、その度に相互理解が深まっていく。そういう風に、たまに衝突しながらでも、そっちの方が絶対楽しいはずなんだ」

 もし、君とまた出会うことが出来たなら、その時僕は仮面を脱ぎ捨て、素直な言葉でお話しようと思います。そんなことが出来たなら、本当に素敵なことですね。

 万年筆のインクが切れそうなので、この辺りで終わりにしようと思います。また手紙を書きます。君が教えてくれた、うっとりとした甘さのあるコーヒーを出すこの店で、死んだ作家の本を繰りながらゆっくり時間を使って書くことにします。さようなら。



シャンソン喫茶ラドリオ 情報
《電話番号》
 03-3295-4788
《アクセス》
 千代田区神田神保町1-3
 神保町A7出口徒歩2分程
《営業時間》
 月~金(11:00~22:00)
 土(12:00~21:00)
 日、祝(休み)


編集後記

頻繁にこの街を訪れるようになったの上京後すぐのこと。
当時星新一ばかり読んでいた僕は、一般の書店で販売されている書籍全てを購入してしまっていて、
残すは廃盤になった書籍だけだっだ。街全体が大きな古書店と言ってもいい街、
僕は星新一の書籍を探すべくこの街を頻繁に訪れるようになった。
この街にはラドリオの他にも沢山の素晴らしい喫茶がある。
閉店してしまったエリカ、伯剌西爾、さぼうる、きさっこ……。
数えればキリがない程沢山の喫茶。
そしてそのひとつひとつに、思い出が沢山詰まっている。
ラドリオはそんな思い出深い喫茶のひとつ。
ラドリオは僕がいつも昼食をとっていた店だ。
ランチタイムで賑わう前にここでカレーを食らい、ウインナーコーヒーで一息ついてから古書の散策、
そして伯剌西爾なりミロンガなりでゆっくり買って来た書籍を読む。
こうして見ると、なんだか山川尚人さんの短編『バビロン来訪』のようだけれど、そんな感じ。
少しくらい物語のような書き物でもしたかったけれど、大抵の場合、カレーを食っていた気がする。
東京を離れ、このようなのんびりとした休日を過ごすことが出来なくなるのがほんの少し寂しい。

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